| 08/30 | |
IN 沖縄 |
| 08/12 | |
GP採卵 |
| 07/29 | |
無題 |
お酒の勢いも手伝って書こうと思います。
おかしいな?っと思い始めたのは7年前くらいだったでしょうか
(私)「すまんけど、ちょっと助けて。
1日だけおかんに来て貰って子供の面倒見て欲しいんや」
(父)「解った。それならわしとお母さんと2人で行くわ。」
(私)「いや 親父まで来んでええ。おかんだけ来てくれたらええねん 1日だけやし」
(父)「… ん… ちょっとお母さんがなぁ… とりあえず2人で行くわ」
(私)「?? ん? おかんなんか悪いんか??」
それから数日後、姉に電話をする機会があってそれとなく聞いてみた
(私)「おかん なんかあったの?」
(姉)「実はなぁ、最近物忘れがひどいんや
茶碗蒸しを作ろうとして途中で作り方を忘れたり、
車で買い物行って、帰り道を忘れて帰れなくなったり…」
でも、その時はその程度でした。
しかし、それから1年も経たないうちに、はっきりと病名が解るくらいに
母親は変貌しました。「若年性アルツハイマー」です。
そこから、病気と家族との戦いが始まりました。
今年に入ってからは、徘徊がひどくなり、排泄の介助も必要な状況
要介護3の認定まで達しました。
そして、一番恐れたことが… 暴力を振るうようになったんです…
自分が反抗してたのが不思議なくらい穏やで優しく綺麗なおかんでした。
私の長男(12歳)は、その頃のおかんを憶えています。
「ばあちゃんはすごくやさしかった」って
でも次男(10歳)は、病気になってからの姿しか憶えてません。
長男には常に言い聞かせてます。
(私)「ばあちゃんの元気だった頃憶えてるか?
仮面ライダーの人形をばあちゃんに買って貰ったの憶えてるか?
ばあちゃんと一緒に旅行したの憶えてるか?」
(長男)「うん。憶えてる。その時のばあちゃんはいつも笑って優しかった」
(私)「その時の事、絶対忘れたらあかんぞ。あれが本当のばあちゃんやからな…」
それを横で聞いている次男は、「へえー ばあちゃんってそんな人やったんや」
一昨日、実家で1人で介護をしてる父から夜中に電話があった。力のない声で…
(父)「もうあかんわ… お母さん殺してわしも死のうと思たけど
寝顔を見たら殺せへんのや… どうしたらええんや…」
そして、父は電話口で号泣した…
厳しかった父の子供のような泣き声を32年間生きてきて初めて聞いた…
姉からも電話がかかってきた。
(姉)「今まで言わんかったけど、20年くらい前にお母さんが私に言ったことがあんねん」その内容は「私がもしも痴呆になるようなことがあったら、その時に私が何を言ってようが、ためらわずに施設に入れてね。将来、家を継ぐ息子のお嫁さんに介護の迷惑をかけたくないから…、それで、その事はお父さんでは決断出来ないだろうから、長女のあなたがしっかり手続きするんよ…」っと。 姉も泣いていた…
昨日、親父におかんを特養ホームに入れる申し込みをするように言った。
特養ホームというのはご存じの通り、死ぬまでの終の棲家になるのです。病状を抑える所ではなく、逆にこれ以上手がかからないように体を弱らせる薬を使って動け無くさせ、もう自宅には帰れなくなるようにするのです。
親父は「わしにはそれはできん」っと言った。姉は「それなら、私が手続きするよ」っと言った。
おかんは若い頃、痴呆の姑を看取るまで自宅で介護しました。でも、そのおかんの子供は、自宅での介護を止めて姥捨て山に送るというのです。 本当に親不孝者ですね…
特養ホームはどこも一杯で入るまで、2〜3年はかかるそうです。
それまでの間、今まで受けてきた恩の僅かでも返すことができたら、、それだけを思ってみんなで頑張ろうと思います。
おかしいな?っと思い始めたのは7年前くらいだったでしょうか
(私)「すまんけど、ちょっと助けて。
1日だけおかんに来て貰って子供の面倒見て欲しいんや」
(父)「解った。それならわしとお母さんと2人で行くわ。」
(私)「いや 親父まで来んでええ。おかんだけ来てくれたらええねん 1日だけやし」
(父)「… ん… ちょっとお母さんがなぁ… とりあえず2人で行くわ」
(私)「?? ん? おかんなんか悪いんか??」
それから数日後、姉に電話をする機会があってそれとなく聞いてみた
(私)「おかん なんかあったの?」
(姉)「実はなぁ、最近物忘れがひどいんや
茶碗蒸しを作ろうとして途中で作り方を忘れたり、
車で買い物行って、帰り道を忘れて帰れなくなったり…」
でも、その時はその程度でした。
しかし、それから1年も経たないうちに、はっきりと病名が解るくらいに
母親は変貌しました。「若年性アルツハイマー」です。
そこから、病気と家族との戦いが始まりました。
今年に入ってからは、徘徊がひどくなり、排泄の介助も必要な状況
要介護3の認定まで達しました。
そして、一番恐れたことが… 暴力を振るうようになったんです…
自分が反抗してたのが不思議なくらい穏やで優しく綺麗なおかんでした。
私の長男(12歳)は、その頃のおかんを憶えています。
「ばあちゃんはすごくやさしかった」って
でも次男(10歳)は、病気になってからの姿しか憶えてません。
長男には常に言い聞かせてます。
(私)「ばあちゃんの元気だった頃憶えてるか?
仮面ライダーの人形をばあちゃんに買って貰ったの憶えてるか?
ばあちゃんと一緒に旅行したの憶えてるか?」
(長男)「うん。憶えてる。その時のばあちゃんはいつも笑って優しかった」
(私)「その時の事、絶対忘れたらあかんぞ。あれが本当のばあちゃんやからな…」
それを横で聞いている次男は、「へえー ばあちゃんってそんな人やったんや」
一昨日、実家で1人で介護をしてる父から夜中に電話があった。力のない声で…
(父)「もうあかんわ… お母さん殺してわしも死のうと思たけど
寝顔を見たら殺せへんのや… どうしたらええんや…」
そして、父は電話口で号泣した…
厳しかった父の子供のような泣き声を32年間生きてきて初めて聞いた…
姉からも電話がかかってきた。
(姉)「今まで言わんかったけど、20年くらい前にお母さんが私に言ったことがあんねん」その内容は「私がもしも痴呆になるようなことがあったら、その時に私が何を言ってようが、ためらわずに施設に入れてね。将来、家を継ぐ息子のお嫁さんに介護の迷惑をかけたくないから…、それで、その事はお父さんでは決断出来ないだろうから、長女のあなたがしっかり手続きするんよ…」っと。 姉も泣いていた…
昨日、親父におかんを特養ホームに入れる申し込みをするように言った。
特養ホームというのはご存じの通り、死ぬまでの終の棲家になるのです。病状を抑える所ではなく、逆にこれ以上手がかからないように体を弱らせる薬を使って動け無くさせ、もう自宅には帰れなくなるようにするのです。
親父は「わしにはそれはできん」っと言った。姉は「それなら、私が手続きするよ」っと言った。
おかんは若い頃、痴呆の姑を看取るまで自宅で介護しました。でも、そのおかんの子供は、自宅での介護を止めて姥捨て山に送るというのです。 本当に親不孝者ですね…
特養ホームはどこも一杯で入るまで、2〜3年はかかるそうです。
それまでの間、今まで受けてきた恩の僅かでも返すことができたら、、それだけを思ってみんなで頑張ろうと思います。
| 07/27 | |
我が家のほぺいさん |
| 07/16 | |
ゴライアス道 |







